2020年7月7日火曜日

【チケット制】チケットという新しいインフラについて



※注)毎度のことながら、チャネリングは相手が定まらず、話す存在はコロコロ変わっている印象。特に感じ方が変わるのとそれに合わせて語尾が変わったり、言い回しが古くなったり、現代的な口語になったりと様々。持っている基準の概念も異なるので、完了形でのみ喋る人もいる。ようは、枚文枚文相手が変わっている。このことからも分かる通り、ぼくはチャネリングの素人です。これから進展すればいいよねの姿勢です。



ここで宣言した新しい『チケット』という概念は、既存の仕組みの筆頭であった「マネー」とは随分異なる価値観であった。

『チケット』の説明の前に「マネー」を振り返る。

「マネー」は物理ではキャッシュと言う。しかし、ここでは(1 貨幣制度全般についてと、(2 貨幣制度がもたらす恩恵と、(3 貨幣制度が膿む既知無知合わせた問題を
一つの言葉に集約した意味合いで「マネー」と宣言していく。


私の夢である宣言は『ありとあらゆるすべての経済活動の終了』である。

ありとあらゆるという意味にはそれを含む全ての意味が込められていた。つまり、言葉通りすべての意味での完全なる撤退を意味した。そこから先のすべての経済活動の終焉である。

それ以降の「マネー」の使われ方、経済行動のすべてがどういうものに変わってゆくのかはまだ未知数であるから、「マネー」への言及は避けます。

それ以前は「マネー」は数々の功績を残しつつも、未解決となった概念も多分に含んでしまったままま取り残されることとなる。が、それもまたよしとする。

ゲームマスターとした立場から「マネー」を宣言した以上、その「撤退」についても同様に宣言をしなければならない。

そこで、それに変わりうる新たな『指針』を掲げて戻ってくることになる。

それが前述の通り『チケット制』となった運び。


『チケット制』とは何か?


『チケット』は、既存の概念である「マネー」経済の仕組みを根本から置き換えることを主軸とした構想機関であった。

『チケット』を構想する段で以前の仕組みにあった数々のドラマをかんがみ、一部を採用一部を不採用とした。

何を残した(採用した)のかというと、『愛』について。

「マネー」システムの中にあっても失われたことがなく、経済の良き発展の要/礎となった部分があり、それを残す決定をした。それが前述の『愛』について。

この場合の愛とは、受け渡す際の感謝の念のことを指している。感謝で経済が回っていたと言っても過言はなかった。

愛についての部分を残し、悪についての部分を削っていく処置を施した。

悪とは、騙したり、取られたり、値切られたり、といった「まやかし」全般のことを指している。

「悪」を削減する唯一の手綱というのは、実は『与えた』ことだった。数限りなく与え続けることを通してのみ、唯一の極楽というものが完成するに行き着く。

騙したり奪ったりと言った、極悪非道な所業を経験したり、試したりという「価値」を放り捨てさる代わりに、今界からは『与えたり、育んだり』といった所業が行われやすくするやりやすさを担保していく。

そういう結論に達した。

それをシェアしとこうと決める。

あなたにやってほしいことは、お知らせすることだ。私達に変わって。

経緯と動向のシェアを共用したい。

やってくれるかい?



※注)ぼく→ 返事はまだしない。全容がつかめていないから。できない。軽々しくはいとは決めかねている。そもそも、チャネリングが不安定で、入り乱れている。

※注)ぼく→ が、とりあえず聞きます。

はい。





全容とはこうだ。

『チケット制』の目論見としては、先程述べた見解のようにそれは「マネー経済」の反省点を色濃く受け継いでいた。

『チケット』の仕組みはこうだ。

(1 毎日100チケット任意で振り込まれた(数は任意)

そのチケットの意味は『感謝』である。サービスの対価として『1チケット』を相手に振り込むことになる。
毎日振り込まれてくるので、余るということが少ない。代わりに、残すということに罪の意識が芽生え始めてきた。

どうにか使い込まねばと焦りだしてきたが、それはみんな同じ環境だと気づく。焦らずやっていこうという風潮が生まれた。

『チケット』が普及し始めたとき、それを悪意ある者たちが乗っ取ろうとし始めるだろう。その予防策としてとっておきなのが、『もっと与えた』ということだ。

予備のデジタル紙幣であったキャッシュレス市場を混沌に導くことに変わりはないが、インパクトに欠ける。デジタルマネー構想は残った。

『チケット制度』の実際の使われ方はこうだ。

1 サービスを受ける。 2 チケットを1枚使う。

ものを購入するのも、サービスを受けるのもすべてこの『1枚』のチケットが肩代わりしてくれる。

チケットは大変便利なものとなり、暮らしや生活に切っても切れないものとなる。マネー経済の完全な『上位互換』となった挙げ句、マネー経済も残すようだから、その橋渡しにもなりえる。(ここで言うマネー経済とはキャッシュレス紙幣のことを指している)

チケット制度について深く語るとすると、

まずはじめに思いつくのがあれだ。

チケットは『恩とか思い』とかが形になったものだと捉えると捉えやすくなる。感謝の気持ちだ。

感謝の気持ちを数字で表すのではなく、物質で示そうというのが大まかな流れであって、共通の理解しやすいポイントになるだろうと思う。

『チケット』は物理的なものと交換が可能な最初の仕組みとなる。

『チケット」の仕組みを最初から説明すれば、

まず、
1チケットで一つのサービスと交換できる。(有形無形に関わらず)
次に、
サービスを受けたりしたときに(チップを渡す要領で)相手に提示できる仕組みがほしいと感じる。その代替システムとして誕生するのがこの『チケット』という制度になる。

チケットの補充は毎日12時頃行われます。チケットは(任意で)1~100の間で自由に設定可能になります。

?この文意味不→   注意として、1チケットしか振り込まれない場合、その日のうちに使い切るかどうかに限りなく、翌日に繰り越すこともできないので、数に注意が必要になるという点だけは覚えておいてください。

相手(提供者)にする見返り/お返しの一環としてこのチップの制度があるわけで、そこから着想を得て生まれるのがこの『チケット制』の大枠と捉えれば間違えていません。

マネー経済の中での良いとこ取りを狙った仕組みとも言えるでしょう。幸か不幸かはさておき。まだ試したことのない仕組みということ。

『チケット制度』の論点は、「与えることを強要しすぎていないか?」というポイントについてになります。

これは未だ結論が出ていない状況にあります。(決着がついていない。)結論が後回しにされています。

まあそれはさておき、やって見る価値のある新しい概念にあることはまちがいようのないことなので、みんな乗り気です^^

これからが楽しみですね。


チケット制の導入とその流れ


チケット制への静かな転換点は、水面下で行われようとします。

これは取り計らいでこうします。

表立って取り上げられようとなるのはそこから数えて10年後がスタートでしょうか。

チケット制は成ります。たとえ勘違いしないでください。あなたの一存や、あなた(この場合のチャネルであるぼくの意)のために成るのではないことを。
益するのはわたしがた(あなたがたの意)みな(みんなの意)のこととなります。
太陽の掟です。(←そのチャネル/情報元の信じている大義の意)



チケットを発行する手はず


チケットは有形無形の交通手段なので、その存在は危ぶまれています。

チケットを発行できるのはかの有名な方オンリーになります。

誰も彼も発行できないという意味です。

それは通貨ではありませんので、道徳だけで成り立っています、初めての試みなので、監督者がおりません。ので、ある御方に依頼を施しました。その方がなってくれるかは未知数になります。


チケット発行の成り行き


私達は手はず通りのことをおこいますので、ことは起こりますが、軌道に乗るかどうかはやってみてからのお楽しみということでしょうか。

あなたはどうなさいますか?

※注)ぼく→ やります。さっきの話をもう一度ここに書きたいと思います。


1サービスを1チケットと交換できるという仕組み(試み)は余すところなく、この世界の資源を平等に取り扱うことを意味します。

それは既存の貨幣制度ではなし得ない新しくいさぎの良い新社会を築くいしずえとなるてはずです。

既存の貨幣社会が生むリスクをどう捉えますか?これから新しく置き換わっていく新制度に何を求めましょう?

私達の答えはこうなります。

『チケット制』への以降と、既存制度の撤廃と終焉(総入れ替え)になります。


既存制度の深い落とし穴はカースト制度であるという点/強調だと思います。

位や立場によってお給金の額/帳面が上下するという不可解な行いにより、もとの価値は歪めきってしまいます。

死んだ貨幣生活の中で生き残ることはもはや戦争といわざるをえません。



デジタルとアナログの共通の中点について



『チケット』はインターネット空間(デジタル)と物理生活/現実/リアル(アナログ)の(これまではなく、これから増えるにおいて今現在唯一の)中間ポイントです。

デジタルにおいて貨幣とは違って無尽蔵にいただけた仕組みなので、『価値がありません』。(誰でも簡単に手に入るデジタルであるチケットには価値がないの意味)

しかし、面白いところは、『チケット』はアナログにおいて物理的に作用させることが可能になるというところです。現実のサービスを1チケットで実際に交換できます。(例 バスに乗る=1チケット。ご飯を食べる=1チケット。買い物をしたりサービスを受ける=1チケット。映画を見る、好きな曲をダウンロードして聞くなどすべて1チケットで行える。)

チケットは無償で配布されえますので、減らせません。(サイトにログインした場合、年齢に沿いそれまで生きた分のチケットが実際に割り振られてきます。)使い切るのは困難です。

それでも与え続けられるのには訳があります。不平等を巻き起こさないためです。

『チケット』を得る方法は2つ。日々のログイン時に適宜割り当てられる「振り込み式」です。もう一つは、対外において自の行うサービスの対象として渡されうるチップのような『チケット』になります。

チップの支払いには大きな意味があって、それは上部にも書きましたがお礼/気持ち/恩/感謝・ありがとうの気持ちが込められたとても効率の良いパートナーです。

それは世界を根本から支えうる仕組みとなりましょう。

お礼です。気持ちになります。

何よりの対価としてもらうに相応しいサービスは、実はお礼/感謝の気持なのでした。

サービスする側が得たのは実はサービスをうる(行う立場を得るという意)ための機会/チャンスだったわけですね。
本当にありがとう/感謝ですね^^(真心のこもるサービス)

物理的なものに価値を起きたがるのは、有形のものが無尽蔵には在ら無いからになります。それを根本から変更していこうとする力が、この『チケット』のしくみです。

物理的な価値にひた走るのとは違い、無形な価値に目覚めさせる効果もあります。(チケット制には)

つまり、物質至上主義の崩壊と再構成です。新しく生まれ変わろうとする仕組みになっていくでしょう。













チャネル終わり。


その他の情報


さっき聞いた別のお話をぼくの言葉で言い換えると、


◎ 2チケットは支払えない → サービスが良かったからといい。複数チップを払うかのように複数チケットを払えないほうのがいい。

1サービス1チケットの仕組みは『ヒエラルキーを産まない構想』みたい。

複数チケットを許可すると、チケットに価値が生まれて、例えば1億チケットとしか交換できないサービスを展開したくなる人が出てきたりする。価値がない無償配布のチケットだからこそ、道徳や愛をベースにできうるのに、チケットに価値をもたせようとするのはカースト制を導入しようということなので、多い少ないの不平等によって価値の上下という意味を関連付けさせようと成る。

そうしないで無償配布して根本からの不平等自体を綺麗サッパリ含めていないというのが新体制。それが今まで試したことのない『チケット制』=無償配布になります。

また、1チケットの効力によって、どのサービスも1チケットで経験することが可能だから、やってみたいことすべてのことが『1チケット』で行える社会になっていく。貨幣制度にある高額すぎて1部の人にしか経験できなかった全てのサービスを経験できるという未来は、単純に大量の交流を招き、ありったけのサービスを受け取る側にもなるし、今まで会うことのなかったすべての人にも、『ワンチケット』で会えるようにもなった。自分のサービスを待つ、すべての人や生き物との垣根もなくなったわけだ。リニアにもジェットにも1チケットで乗る。もちろん搭乗員とかにサービスを受けたときにその都度チケットをわたしてもいい。チケットは毎日手に入る。


◎ 家族や親しい人友人などにまとめて払いたい → ちょっとのことでも感謝の気持ちを物理的に示せるというのが『チケット制』のいいところである反面。毎回となると多すぎて面倒くさくなる。一度紐付いた他者のアカウントにはチケットを累積できるようにしておき、実際にあったときに一度に500チケットとか支払えるようにする、みたい?実際似合うというところが味噌。実際にあって感謝の気持ちとしてピッとわたしたほうが気持ちがいい。

◎ フェリカのような既存の決済システムを使用 → 物質的な導入コストを減らすために既存の仕組みを利用するみたい?

◎ 複垢の問題 → アカウントはいくつ作っても大丈夫にし、しかし、一つのほうが良いふうに仕組み自体をするみたい

◎ マネーシステムとも並行するっぽい?(段階的な処置) → どうしても1チケットでは収まらないようなサービスを展開している側に対して、例えば、100万円と1チケットのような支払いをする。1億円と1チケットのような。

◎ 持ちチケット数は基本非公開 → 闘争心/競争心を産まない仕組みとして、チケット数は非公開が基本だけれど、自己の判断においてSNSなどを通して公表したいという場合には写メなどで任意で公表できます。




感想を少し書く。

野菜を作る農家の人が1チケット分でその野菜を提供した場合。毎日たくさんの感謝のチケットが来た。これはモチベになると思う。実際に自分の成果物を食べたり利用する生の反応だから。これはSNSの登録者数なん百万人達成とおんなじようなモチベの継続の仕方なんじゃないかとふと思う。しかもそれが全国からくるとなると、処理の追いつけなくなるほどの感謝の気持ちが毎日来ることになった。誰に感謝していいのかわからないほどの感謝が常に在る。それは自己が野菜を1チケット分で提供したことに端を発しているという事実が在った。また、その生業を支えてくれている家族や同僚の支えにも感謝が絶えないことに成る。明らかに社会が変わった。(貨幣経済の頃と比べると。)



別の感想も。
オープンソースは昔から無償提供が基本でネットの世界では無償配布は全然珍しくはない。
『チケット制』の初の試みは、実際に物理的なサービスと置き換えることができる点。

デジタルとアナログのどピンポイントの中点にあるのが今回の『チケット制』。

既存の仕組みについてのいいとこ取りをした究極上位互換という点がすごそうだなとも感じた。




※2020.7.8 : 追記


高価なものをワンチケットで提供した。1チケットの報酬を得た。
あるとき、ふいに虚しさを感じる。自分の提供した価値に見合わないと。
そこである男はそれをやめにし、価値の低いものをばらまく作戦に出た。そのぶんの報酬目当てだ。
どれも皆等しく1チケットで購入できた。それを形を変え又売りしたのだ。
そこである男は気がつく。
商売の本当は何なのかを。(本質の意)
太陽がやっていることもこれと同じこと。水も空気も風も。
どれもこれも無価値なものほど皆の手に届きやすい。
小さな価値。実はそれが莫大な恩恵をかのものに与えたのだ。
神はこういう。『与えよ、さらば与えられん。』
この解釈はこうだ。
与えるものの大きさに関わりなく、与えたもののみが帰る。持ち主に届く仕組み。
ポストに投函するのは、あなたの真心であった。
与えたものは何か、じつはそれはかのものの心/魂である。
物質といういと小さな器にのせた思いの結晶。それが魂と読んでいるもの。
その魂を集めることが、今生のお前方(あなたがたの意)の役割の一つ。
試したか??