2020年9月26日土曜日

過去のチャネリングシェア

過去のチャネリングのシェアです。

注)チャネリングはきれいな言葉が多く、思考では掴めない。フィーリングです。


# 神意識、神の焦点


みんなが使うもの、酸素や空気や水、太陽の光、を、分け隔てることなくみんなで使おうよ、ということ。道徳のコア、善の意識のコア、を押さえるんだよということ。
今代表してぼくが神の意識、神の焦点を表しているよ。
今神意識を表しているんだよ、ということ、ぼくを目指すんじゃなくて、ぼくが今表している神の意識、神の視座や神の焦点の方を目指すんだよ、ということ。
ヨーガがなんとかや、その他の教えがどうとかではないよ。比較すればそういうものが本当に意味の無いことだとわかるよ、ということ。
神の意識、焦点を表せばいいんだよ。ということ。

今当たり前にあって意識に上らないけど本当は最も基本的で最も大切なもの、空気とか酸素とか光とかみんなが必要とするものをしっかりと認識して大切にしていこうとする意識、焦点のことが神の焦点だということ。

そういう最も大事なものがぐるっと一周すると、最も大事だったねって思うからそれだけを選択すれば良いんだよということ。

神の焦点、神の意識。みんなが必要とするものをみんなで仲良く使っていこうよ、という意識の在り方。これが神意識。

比較すれば最も大事なものがわかるから、それを間違うことなく選択していけばいいんだよ。という在り方。これが神の在り方だよ。

神は一人きりでは無いからみんなが神意識を選択して、神の焦点で生きることを選べばいいんだよ。

最も大事なことって最も選びやすいことだから、簡単に選べるよ。

神意識。この世界を存在させている不思議な在り方。だけど、紐解いていくと、なんだ、当たり前のことを当たり前と認識し続けてきただけだったんだなと思うから、
今それを認識して選べばいいんだよ。ということ。

神であることを選び、神の務め、神意識を選択できているといった感じ。

常に感謝をし、愛をあふれさせながら、大好きなもの達と、末長く暮らしていけることに喜びと愛を感じ、大感謝で生きている。

神意識はワンネス意識でもあるよ。
ワンネス意識は、分離感は無いけど個性は認識しているよって言う意識状態。ワンネス体験とは、ワンネスを前面に経験している状態。ワンネス意識とは、分離がない意識体験のこと。

# 神によって既に与えられている物


神によりデザインされた、全て繋がり合いできている世界、


# ユニティ・コンシャスネス


ユニティ・コンシャスネスは自分の神聖な権利として持っている支援を受け入れ、大きな全体と一緒に動くことを意味しています。「大天使ガブリエル」
ユニティ・コンシャスネスというのは、地球上のすべての生命と一つに融合しているという意識状態。


# 『霊性』とは?(スピリチュアリティーとは?)


霊性:自己がいるというストーリー、信念のストーリー、所有、ヒーリング(霊性の現れ)
自己の霊性に気づく、スピリット/独自性、ひとつ個であり完全な存在そのもの、
対ネガティブ向けのストーリー。不完全から完全へ。テーマ:サナギ。
対ポジティブ向けのストーリー。未完成から完成へ。テーマ:神の子。
好みの霊性ストーリーのため、未解消の自己パラドックスを抱えこむ。
西洋文化特有の「聖なる」といったニュアンスをふんだんに盛り込む。歓喜強め。セイント、ホーリー、ディバイン、ツイン。天使の上に大天使がいるみたいな仕組みの話や悪魔とか善悪を、価値の話に切り替える。称号や階級、「特別な」等なにか特異な状態を良しとする。発展や進化に貪欲、目覚ましい。


# 『神性』とは?


神性:フィーリング(神性の体現)
対象の不在という完全性によって、パラドックスが解消したこと、信念ストーリーが落ちる、謎解き、所有感覚がない、コントロールが落ちる、ジャッジがない。
道、未知、満ち、個別化も全体化も無いつまりどちらもあって大丈夫な世界観、変化と不変、気づきと探究、表現遊び、テーマと役。
ストーリー(分離)とのトレードオフ。
あるがままに気づいていく。


# 霊性と神性の対比


霊性の本質は、タイムラインがあって、プロセスがある、分離の価値観があって、サナギが蝶になるかの如くを夢見て、ガイドラインにしているところ、プラクティスやワークをよりどころにする。
その根底にあるのが、今のままを愛せていないという観念。

神性の本質は、今既に悟っているので、完成している、自己充足している、完結、タイムラインがない、時間という観念を使用しない、成長の物語ではなくて、もともと完成している。
なのでプラクティスはない、観念という分離の価値観を利用しない、在ることしかないので観念を使用せず、価値に上下を見ず、あるがまましか見ないし見れない、物語をくっつけられない、ストーリー性をストーリー性としか利用できない。

神から神性を学ぶスクール、愛の星地球。
霊から霊性を学び、
宇宙から宇宙性を学び、
地球から地球性を学び、
人間から人間性を学ぶ、生きた図書館。


# 真理とは?


真理は何も現さない。
何か現しているのであれば、それは真理ではなく、真理ではないということを表している。
真理は何も現さないから、強いて言うなれば何も現さないことで真理を現していることを表している。

分離していないのを表すことは、何も現さないということによってのみ、逆に言うと表しているということになる。
つまり、分離していることを表しているのは、何か対象を識別出来る個性と現した時になる、これにより、何か現す事はイコール分離を生み出したことになり、何か現さないことにより非分離を現したことになっている。


## 不在について


存在の不在、分離してないという真理
つなぎ目のない全体性
他者性、自己性、対象性の不在は愛そのもの
自然なプロセス
他の存在の不在というゴール、自己という存在の不在という開放感、あるのは永遠性、ひとつの全てであるものだけ


# 変化について


報酬性では無い周波数変化の賜物の気づき。
プラクティスの発見や知恵の開花、気づきの深まりの本質とは、周波数の変化が物性を伴った形ということがあります。
つまり、今まで気づいていなかったことに気がつけたというのは、努力や貢献の結果としての報酬なのではなく、周波数帯の移動による、当たり前の産物、つまりその場においての正しいあり方の獲得や展開なのだということになります、冬に冬服を羽織るが如く単純な仕組みになっています、
今自分にとって心地の良い周波数にいられることが焦点になります。
必要な周波数に同調すれば、自ずとその周波数を顕わす(他と比べると違いのある)特徴を顕現することとなり、それが今までいた周波数との違いがあるので驚いたり、気づいたことを夢中で分け合ったりしますが、
周波数の異なる他の存在にはその周波数しか受け取らない(その存在はその周波数を現しているからになります)ので、その新たな情報はシェアのためではなくて自らが新たな(周波数の)場において立ち回るためのツールとして自覚された方がよろしいかと思います。

周波数を変化させることで、その新たな場に置いて役に立つ服(知恵など)が与えられる仕組みです。

その周波数を現す特徴を無条件で得ることになりますので、ある周波数に同調すればその周波数を現している知識や知恵はデフォルトで含むことになります。
誰も知恵の獲得に貢献していないし、元からあったものにただ気づくだけなので驚きもありませんが恩寵と呼びたい場合にはそう呼ばれると思います。
知識や知恵は誰にも隠されていないのと、所有されていませんので、必要になればアクセスして使用しているだけだと思います。
それぞれの周波数帯に優劣もありませんので、各段階において必要なツール一式がまとまって公開してある感じです。


# 理解と枠組み


叡智や叡彗には、知恵や知識のヒエラルキーのトップみたいなニュアンスも含まれる気がする、そういうたぐいのものは既知の領域に対応したエッセンスだと思う、既に知られたものの中で最大のもの、という感じの意味、

魂が欲しいのは、未知の領域を適切に推進できる枠組み。
神が創造する際に使用するかのような、適切な視座、生きた知性、本質、未知のものを生み出す時に使用できる、正しい価値、善なる行為、純粋性、等。
その為に欲しかったのが、善なる視座、理解することのできる範囲を拡大したかった、それが望むこと、希望。
魂は完全性の現れとして存在しているから、進化成長というよりかは、神化かな。
魂の内在する可能性の最大化、を表現すること。
魂のこの上ない想いの成就達成、がぼくたちがぼくたちとして生きる意味になります。


# 在り方について


スピリットの視座、神性を現すのではなく、すでに現されている神性を見ている、だから何も変更することがない。
悟りに終わりがない、なにかを目指さなくていい、楽しい発展的な領域の発見、エネルギー調整、エネルギーを読み解いていく、悟りの視点とエネルギーの視点から生きたい現れ、意識をクリアにしていきたい。

構造の中で自己の位置(周波数)を知りたいから探究が起こる。
波動宇宙の中で、座標となる基準となっている指標が波動の周波数なので、周波数を知ることが現在値を知る手がかりとして利用している。
美しいストーリー、中心を求めていた、求めていたものは既にあった、一度も動いていなかった。


# 今という幻想性


過去は記憶で未来はイメージ(投影)なので簡単に変更することが出来る、それを利用して過去のトラウマを今癒すことがあったり、望む未来を意図して投影し、引き寄せたり等がある、
今の一瞬後は既に過去であり、今と感じた途端に次の瞬間もうすぐにそれは過去の出来事になる、これをつきつめていないと常に今にいることはなく、思考で掴んだ(今と思っている)過去を今生きていることになる、つまり、意識的に今在ることに意識を向け続けていない限り、記憶やイメージを連想していることから、今にただ在るということがない、
また、今の一瞬先は常に未知の未来であるが、自己のイメージを投影するそばから未知ではなくなる、それは過去の体験から来るものを投影するので既知の出来事の繰り返しになる性格があった、
未知を経験し続けるということが、無限の現在にただ在ることである、という、
過去に今在ることや未来を空想することは、そのどちらもが、過去の記憶と未来への展望についての行為であり、完全な今に自らを明け渡している事はなく、引き続き過去を選択して未来を良くしたいと願う意図から来ています、その態度ではいつまで経ってもブレイクスルーは起こらず、待てど暮らせど、望む今に在るという事にはなりません、
今に在る、とは、今に在ることでしかなれないのです、今にない時に起こる事は今にないという現れをただご自身に知らせることがただあるだけです、


# 自分の価値を認めてしまったら困る理由


自己価値が低く、それを補う方策として、優位性を担保する必要があり、自己の内面へのトライエラーを繰り返している。
魂が選んでいない、自我がワークしている。

中身の本質が思っていたよりも高い。
そこに焦点を合わせると、至福、幸せしかない、なぜなら、それら(制限)の一部始終を愛しているから、認めているから、気づいているから、理解しているから。



# 形ある何も持たないもの


何も持たないもの。持たないことが恩寵。組み込んでいない。
形のない実在。形のない恩寵。

エゴが強くなり、望みと現実とのギャップに無念さが強まり、恨む気持ちになる。
あるがままそのままに帰結する。

持たないことが恩寵であると教わる。何も持たないことが実在している。空。

本当に何も持ってはいない。
どこにも組み込まれない、入らない、出ない。
概念ではない。分離しない。
何も持たないことが恩寵、実在。それが空。

与えてくれている中から選んで生きていく。
欲しがるのではなく。
目の前まで持ってきて見せてくれているものの中から選択できた。
それは即時性がある。
欲しいものは、それを獲得するために計画を立てたり、実行に移したり、誰かの、何か機械の、手伝いを頼む必要があったりと、手元に届くまでに時間差があった。
しかし、
目の前に差し出された中から選ぶ方法では、
(文字通り)手を伸ばせばいただけるので、待つ必要が薄くなった。