#### なぜ憧れのサイキックパワーがないのか?
サイキックパワーがなくても悟りは深められるから。
マンガの中では当たり前なのに、なぜ自分がサイキックな能力を持っていないのかというよくある疑問。
おそらく、人生80年の間になにかの能力を開発するのは10年かかると思うけど、それが長すぎるからだと思う。寿命が2万年とかならありえそう。または人生の中に溶け込んでいて、テレポで移動するのが当たり前とかだと、飲み込みの早い子供時代から学ぶ土台がある場合等。または、その能力が仕事とリンクしているという時代背景があると学んだ能力が活かせるからだと感じた。
現代に目を向けてみると、自分の周りにサイキックパワーを当たり前のように使って暮らすという文化はない。むしろ珍しいからサイキック能力開発のまともな先生を見つけることのほうが難易度が高いかもしれない。
また、獲得した能力の使いみちをどうするかについて、現代ではむしろ目立ちすぎて能力を隠さないとまともな生活ができないと思う。時代背景としてそういうストレスとワンセットになる。
能力の適切な行使について、すでに混乱している現代社会の中で不要に混乱を産まないことにも注意する必要がある。(社会への道徳、思いやり、慈悲、理解を示す。)
じゃあ、どれがだめでどれが能力を使ってもいい状況なの?といった倫理や道徳感の学習の場が必要になるが、学習の場がない場合には各自がバラバラに試行錯誤する必要があり、相談できない場合には思わぬ危険や疎外感が一生つきまとうことにもなる。指導者が必要になる。
現代の中でサイキックパワーの使われ方で一般的なものは、テレパスとごく一部にリーディングがあるぐらいかなと感じる。テレパシーはチャネリングも含める。
言語能力以前にテレパスの能力はあると思うので、いつそれを行っているのかに気が付かないでいるだけでテレパシーは誰でも標準で行っていると感じる。そもそもの構造的にオーラ場の中に肉体がある時点でその間のやり取りはテレパスで行われてそう。意識の共通のやり取りの仕方がテレパスといった認識。
また、バシャールが言うようにテレポーテーションしていない人はいないというお話もある。MMO等のリアルタイム系のオンラインゲームのように人の視点からはリフレッシュレートがFPS60のPCモニターにパラパラ漫画のように画像が映し出されているのをなめらかに変化しているように感じている。それを変化の極少ないテレポーテーションを毎瞬毎瞬行っているという説明のし方もできそう。バシャールはストロボ効果と説明していた気がする。
サイキックパワーを人生に組み込んだ場合にはそういう時代に転生するという話。
目新しさや憧れもよく分かるが、現代に目立ったサイキック能力を持たないことは時代として当たり前でもあると同時に一言で言えば『恩寵』でもあると感じる。
歌ったり踊ったりテレビを見たり、話を理解することができたり、といったごく自然なことも、それがない世界にとっては驚嘆にも匹敵する能力だというのもあると感じた。SNSとか動画とか、VRとかすでにすごいと思う。
なにをサイキックというのかは相対的なので無いものねだりかもしれません。あればあったで今度は無いほうも試したいと思うのが人の常。
この一連の疑問の発露は、フィジカルな能力に対するサイキックな能力ということだと思うから、サイキックな能力を好むグループソウルとかルーツを持つ存在たちからの望みみたいなものの現れだとも、今教えていただいた。
サイキックパワーに関した淡い思いやロマンを今へし折っておかないと、それを人生の探求のテーマにして10年以上失うことにつながると感じる。最終的に成果が上がればそれに越したことはないかもしれないが、10年後もまだ終わらない探求をし続けているのであれば、終わり時のわからない骨折り損のくたびれ儲けになる。その間に今すでに持っている資質を伸ばしたほうが人生80年計画の中ではより現実的で建設的で有意義だと感じる。
サイキックパワーを安易に紹介するような著者やスピーカーの言うことは参考程度に収め、ないものねだりでなく、あるがままそのままの自分本来のところに落ち着いたほうがいいと思うし、ノンデュアリティーはサイキックパワーも無い「空」を示している。
ワンネスの発想の中では価値の上下を定めることがとても難しいということにも目が行くと、サイキックパワーに過剰な期待や価値を上乗せしたりもせず、それを求めること自体を喪失すると感じた。望みがフェードアウトする。
と、言うそれっぽい理屈。実際はどうか知りません。
単純に興味があるとか、やってみたいという気持ちはぼくもある。むしろ未だに研究してもいます。まともにできると思っているのは(個人裁量の判定では)、テレパシー(チャネリングも)と量子アクセスぐらいのもの。
昔、紋章術というのを教わりにそういう星に行くか?と聞かれて、いまはいいや、と答えたのを覚えています。YouTubeで紋章術でのテレポの動画を見て興味津々になったから。この女性は他にも2本の別種類の動画があった。スーパーの買物風景と、お祭りで走って逃げるもの。紋章術について詳しい説明は今のところみたことがないので、今後どうなってくるか知らないけれど、そういう物がある。検索しても出ないと思う。
あとは、サンジェルマンさんの本と、プレアデス訪問記(だったかな?)と、ヒマラヤ聖者の本(イエス・キリストが出る)には空間から物を取り出したり、テレポの描写が多くある。
アナスタシアさんとKAN.さんもテレポができるという描写がある。
最も詳しく書かれたサンジェルマンさんの本では電子のことを神と呼んでいるのかなとうっすら思う。
体外離脱などのアストラル旅行については、マイケル・J. ローズさんとヘミシンク系の本が詳しい。
ぼくも2012年頃流行った、肉体を持ったままアセンションするというテーマの時代に結構調べたり実践もしてみたけど、上記の通り、サイキック能力の獲得に至っていません。
単純に不要だったからなのかなと思うのと同時に、必要になれば自然とその様になるのかもしれないと、今も心に秘めています^^
諦めているのでサイキック能力獲得に向けて調べたり、研究してみたりということはもう意識的にしていないけれど、その間にいろいろな情報に触れたのも今となれば経験の一つだったのかもしれないという、ありきたりな追想。
あと、サイキックパワーを持たない理由としては、誰々が特別だからとか有名人だけが特別とか、権威だからとかにもしないためかも。ババジさんが特別だからとかは明らかに分離の意識のことだけど、そこに卑屈さを投影したりすると、ババジさんが現す神性をなにか自分とは関連のないものとしてつまり、信仰の対象として捉えたがるとかが起こる。信仰の対象になることを自分が引き受けると、そこに軋轢が生じる。
誰にも備わる普遍の真理を現していくということが自然なことなのに、信仰としたい層からしてみれば格好の的が現れ、自分の願いを投影できるチャンスを確実にするために積極的にアプローチしてきそう。毎度色んな所で色んな人達から教えをこわれたりを毎回心苦しくも断るみたいな。
または、差別が強い場合、奇異の目を向けられたり、デマを言われたり、特定されたり、凸されたり、積極的ないたずら行為等など、SNSでよくあるそういう有名税的なこと(自分は信じないからいいけど、自分のファンや家族や身近な人が真に受けて被害を受けるのが嫌など)にうんざりして平穏な生活が今ある素敵な場所でできなくなるとなれば、サイキックパワーなんか無用の長物、等々。
ごく普通の暮らしを望む時、レアスキルにも一長一短がありそう。というよりスキル厳選をしてそう。
職業で勇者を選ぶと、必ず魔王に打ち勝つという設定が組み込まれるみたいな感じ。ある部分を引き受けねばならなくなる。良くも悪くも持つ能力のせいで。
ある面、持たないことは恩寵でもある。安易な変更は不可のようにすでによくできている。
サイキックパワーあるよっていう方向け
今すでにサイキックパワーを持っている、自覚がある場合には、それがあることが望みだと思うので、何十年かけてでも開花させるのがいいと思う。それは時代の中での自然なことだと感じる。そういう場合には隠す必要もなく、オープンにすればいいと感じた。
サンジェルマンさんが登場する「マジック・プレゼンス」「明かされた秘密」がおすすめ。どちらもキンドル・アンリミテッドで無料で読める。
今はすでにこういう時代です↓↓有名だから知ってるかも。
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あとはイルカくんや不食の弁護士秋山佳胤先生、
おすすめを上げだすと結構きりがないかも。